Irish Music

パブへ

ゴールウェイに来て3日目、初めての青空と太陽。
形を変えながら流れて行く沢山の雲がとても綺麗。
雲の隙間から陽が私の方に向かってまっすぐに差してきて、神様に祝福されているみたいで嬉しくなりました。

街のバブでライブがあると聞き、お店に向かいました。
ちょっぴり怖くてなかなかドアが開けられませんでした。
しばらくお店の前を行ったり来たり、、、、。
丁度その時、お店のドアが開いて、演奏している音楽が聞こえてきました。
その音楽に引き寄せられる様に店内に入りました。
中は、すごい人の数。私はカウンターと壁との間に隙間を見つけ、滑り込みました。
6人のミュージシャンがテーブルを囲み、それぞれの楽器を演奏していました。
そして、お客さんは足を踏み鳴らしリズムを刻んでいました。
意外にも店内の雰囲気は、日本で出演していたアイリッシュパブとそっくりで、皆ギネスを片手に思い思いの格好で楽しんでいました。
私はその頃バウロンが上手くなりたいなぁと思っていたので、そのミュージシャンの手元ばかり見ていました。
アイルランドのパブで地元のミュージシャンによる演奏、当たり前だけど、ごく自然に気負わず穏やかで楽しいライブでした。
30分位演奏が続いて、休憩になりました。
夕食の時間に間に合わないのでお店を出ましたが、結局ドリンクも注文せずタダ聴きしてしまいました、、、、、、。

イニシュモア島

フェリー乗り場まで、バスで移動。
車窓から白馬が草を食べているのを間近に見かけ、ドキっとしました。
真っ白くて凛々しい馬に、これから訪れる場所が特別な場所になる予感がしました。

ロッサヴィール港からフェリーに乗って、いよいよ西の果てへ。
イニシュモア島に到着すると、ミニバスツアーの車が沢山並んでいました。
ドン・エンガスまではとても歩いて行ける距離ではないと知り、私もバスツアーに参加しました。
同乗した2人組のスペイン人の女性と仲良くなりました。
バスは、海岸沿いを走り、コネマラ方面が見える海岸で降りたり、古い教会や瓦葺き屋根のお家を見学しながら、ドン・エンガスへと向かいました。

ビジターセンターの前で、ミニバスツアーの運転手さんに集合時間を言われ、解散・自由時間になりました。
ビジターセンタからドン・エンガスまで歩いて約20分。
しばらくは草木が生い茂っているのですが、急に目の前が開け、ただひたすら石灰岩の地面が広がっていました。
黙々と歩いて、ドン・エンガスに到着。
ひと言で言うと、何も無い場所。
石以外に何も無い、、、、そんな感じでした。
強い風が吹き付ける断崖は、転落防止の柵など何もなく、かなり危険でした。
でも、ガイドブックで見た様に、海面から約90mの高さもある断崖に寝転んで海を覗き込みましたけど、、、、。
ここに建てられた古代要塞に座って、ステイ先のお母さんが作ってくれたランチのサンドウィッチを食べました。
強風に吹かれながら、どこまでも続くどんより曇った空を眺めて、集合時間ギリギリまで時間を過ごしました。
「果てしなく何も無い」世界は、頼りなくもあり、清々しくもあり、逞しくないと生きていけない、そんな場所でした。
この世界を表現した音楽に、改めて魅力を感じ、愛おしくなりました。
何も無いからこそ、また行ってみたいと思える場所でした。

ゴールウェイへ

バスに乗ってゴールウェイへ。
すみれ色のトレーナーを着た華奢な女性が、私を待っていてくれました。
ここは海が近く港町なので、リマリックにはない活気がありました。
風にのって潮の香りがしていました。
夕食後、お母さんに「疲れた顔をしてる」と言われてドキッ、、、、。
ステイ先から歩いて5分のところにビーチがあって、お母さんはリラックス出来るからと、しきりに勧めてくれました。
夕食後と言っても、まだまだ日が長いので、ぶらりと散歩に行くことにしました。
ゴールウェイや港や海を歌った曲が沢山ありますが、その世界を想像してみました。

アイルランドに来て約1週間、毎日慣れない生活で確かに厳しい顔になっていたと反省。
好きな事を好きな場所でやっているんだから、もっと幸せな顔で良いはずなのに。
「何かしなければいけない、、、」と焦っているのは間違っていると気付かされました。
今をもっと楽しもう。
ビーチで見た空や雲や太陽や海がぐるりと私を包み、「ここにこうしているだけで良いんだよ」と言ってくれている気がしました。

リマリック最終日

充実したリマリックでの1週間が過ぎました。
ロイズン先生のレッスン最終日、教えて頂いた曲を録音しました。
そして日本の曲を教えて欲しいと言われ、♪さくらを先生に教えてあげました。
ちょっと聞いただけなのに、もう日本語で何とか歌えちゃうなんてすごい!
先生と握手をして、アデアの街を後にしました。

その日の夕食は、ベイクドポテトでした。
毎回マッシュポテトがご飯代わりに出てくるので、「芋をおかずにして芋を食べるのか、、、、、、、、」と複雑な心境でした。
「さぁ、どうぞ!」と自慢げな笑顔一杯でお母さんは勧めてくれました。
ところがたまらなく美味しいのです!!!!!!!!
芋の種類? ソース?  何がこんなに美味しくさせているのでしょう。
気が付けば、芋をおかずにして芋を食べてました。
アイルランド人は芋ばっかり食べてると思っている人がいますが、これを食べたら逆に羨ましく思うはずです。
日本のアイリッシュバブでも食べられたらいいのに。

そのお礼として夜のお茶の時間に、ロイズン先生に習った歌をお父さんとお母さんの前で歌いました。
いよいよ明日はゴールウェイです。

Fleadh Nua へ

ある日、ロイズン先生のレッスンの後、今日のこれからの予定は?と聞かれました。
何も無いと答えると、エニスという街で音楽祭をやっているから行くと良いわよと言われました。

リマリックからバスに乗ってエニスへ。
先生から、オールド・グランド・ホテルでやっているシンギングクラブのプログラムがお勧めだと言われました。
てっきり誰かのコンサートかと思って部屋に入ったら、年配の男性と女性がリーダーになって、なんとずっと聴きたかった「シャーン・ノス」の歌会が始まったのでした。
椅子に座って集まっていた人たちは、観客ではなく全員が歌い手だったのです。
私は、目立たない端っこに座ってじっと耳をかたむけていました。
皆、思い思いに立ち上がり、ごく自然に歌い始めました。

アカペラで歌うこのスタイルは、歌い手の声の奥にあるものが味になり、独特の節回しが心地よく、おまけに生活に根付いているので気取った感じが無く、素晴らしい時間に居合わせる事が出来て幸せでした。
♪ラグラン・ロードをゲール語で、♪ウォーター・イズ・ワイドを英語で歌った赤いワンピースを着た10代の女の子が歌った歌が印象に残りました。
外の広場では、アイリッシュダンスのコンテストをやっていました。
3歳〜10歳位までの男の子や女の子が衣装を着て踊っていました。
初めて生で見たので、写真を撮ろうとカメラを構えましたが、人垣がすごくて思う様にいきませんでした。
そんな私を見ていた隣の男性が、さりげなく場所を譲ってくれました。
通りでは5歳くらいの男の子がおもちゃのアコーディオンを持って立っていました。
大人のミュージシャンの真似をしているのでしょうか、足下のバケツの中のコインをしきりに気にしていた様子が可笑しかったです。

アデアの街で

毎回ロイズン先生のレッスンが終わった後、アデアのバス停まで車で送ってもらいました。
でも、そのままバスに乗ってステイ先に帰る様なことはしませんでした。
だって折角「アイルランドで最もかわいい村」に来ているのですから、夕食の時間に間に合うバスの発車時刻まで、気の向くまま街を堪能しました。(最長で5時間!)

バス停そばの公園のベンチに座って、レッスンの復習をたっぷりやった後、歩いて10分くらいの所にあるお城の遺跡を探検したり、原っぱに寝転んで放牧されている牛や雲を眺めていたり、メインストリートから離れた民家のある道をてくてく歩いたり、、、、。
5月の風がとってもさわやかでした。

茅葺き屋根のお家の庭先には、色とりどりの花が咲き乱れていて、まるで童話の中にいる様でした。
景色を写真に収めようとカメラのファインダーを覗くと、どういう訳だかとたんにつまらなくなる、、、。
「えっ?」と思い、ファインダーから目を外すとそこには表情豊かな風景が広がっている、、、。
とても不思議な気分でした。
そうだ、この景色は写真なんかには納まらないのだ、と思いました。

ロイズン先生

ロイズン先生

朝食は、7:30。オレンジジュースとトースト、3種類のコーンフレーク、牛乳そして紅茶。これは、何処へ行っても同じでした。なんか決まりがあるのかなぁ。

リマリックのバスセンターからアデア行きのバスに乗って、歌の先生の所へ。
アデアで降りて、先生に車で迎えに来てもらいました。そこから10分位走った所が先生のお宅です。辺り一面、何にも無い原っぱです。
30代半ばのロイズン先生。男の子と女の子のお母さんです。
日本からのお土産を渡して、早速レッスンが始まりました。
トラッドソングの歴史や分類から始まり、ずっと気になっていた装飾音の付け方や発音の仕方、様々な曲を実際に唄ったりと、実に細かい手直しをしてもらいました。
普通の会話はままならないのに、音楽の話になると何を言っているのか分かり合えるって凄くありません?
レッスンの合間に、キッチンで紅茶とクッキーを御馳走になりました。
さっきまで晴れていたのに、急に激しい雨が降り始めました。
キッチンの窓から見える、干してある洗濯物の事が気になったのですが、先生は知らんぷり。
「すぐに晴れてくるし、乾くまであのまんまよ」ですって。とっても大胆!?
本当に10分もしないうちに晴れてきて、愛犬の散歩に行く事になりました。

アイルランドは天候が変わり易いと、ガイドブックを読んで知っていましたが、こういう事なんですね。

リマリックへ

初めての国際線、見慣れない機内の様子にしばらくキョロキョロ。
日本人の姿が全く無くて、やっと覚悟が決まりました。
ここからは、水をもらうのも全部自分で言わなくちゃいけないんだ、、、、。
睡眠をとって、水を飲んで、ガイドブックを読んで、トイレに行って、映画を見てを繰り返しているうちに12時間、ヒースロー空港に到着。
エアリンガス航空への乗り換えが、表示を見ながら歩いても歩いても到着しなくて心細くなりました。
入国審査では、根掘り葉掘り聞かれました。英語しゃべれないのに、、、、。ホームステイ先の住所や日本での仕事等々。通過出来なかったらどうしようと、汗びっしょりです。
そして、いよいよアイルランドの上空へ! 雨が降っていたのでしっかりとは見えなかったのですが、緑色の島が見えてきて、「やっと来れた」という思いからウルウル。
シャノン空港で無事に荷物と再会。ホームステイ先のお母さんが、ウエルカムボードを持って迎えてくれました。
どんどん激しくなる雨の中、車で家へ向かいました。
お父さんもお母さんも嬉しそうにあれこれ話しかけてくれるけど、聞き取れずあたふた。
2人共、笑顔が素敵で大柄。日本人と体格が違うなぁと思いました。
シンプルな野菜サンドウィッチと紅茶を頂いて、シャワーを借りて、すぐ眠りました。

アイルランドに行かなくちゃ、、、、

定期的なバンド活動がなくなってからしばらくは、アイルランド関連のイベントで歌っていました。
そんな日々が過ぎる中で、「アイルランドに行きたい」から「行かなくちゃ」と思う様になりました。

どうせ行くなら出来るだけ長く、、、、と、3週間の日程で行く事に決めました。
目標を決めるとどんどん行動してしまう性格の私は、イベントでお世話になった方々に相談して旅行会社を紹介してもらい、また、現地でトラッドソングをどうしても習いたくて、事前にインターネットで先生を捜してもらいました。

リマリック、ゴールウェイ、ダブリンの3ヶ所を1週間ずつホームステイしながら、音楽を学んだり、観光をしたり、地元の人と交流したりする旅のおおざっぱなスケジュールが決まりました。
37歳にして初の海外旅行(それも一人旅)。
英会話力など心配だらけでしたが、普段の仕事で忙しくしていたので出発日はあっと言うまにやって来ました。
音楽のレッスンを全てMDに録音する為に大量の電池をリュックに入れたら、とんでもない重さになりましたが、こればかりは譲れないので我慢我慢。

そうして、2004年5月27日、アイルランドに向け出発しました。

パブに出演していて感じた事

毎回パブに出演して、歌を聴いてもらうのはとても楽しい事でした。
でも、アイルランドの土地で生まれ、代々歌い継がれてきたトラッドソングを歌っていて、どこか落ち着かない気もしてました。
日本の古い民謡や童謡は、その歌が生まれた場所の日々の生活と繋がっているものだと思うので、多少なりとも意味を理解して歌わなくてはというのが私の考えです。
そう考えた場合、アイルランドのトラッドソングを何も知らないまま、メロディーが綺麗だからとか、好きだからという状態で歌っていていいものかと、、、、、。
歌詞には、アイルランドの歴史や習慣や地名などが出てきます。
一度も行ったことのない、テレビや写真集でしか見たことのない国。
いつもパブのお客さんの多くは、外国人でした。それもアイルランド人だったり、アイリッシュ系アメリカ人だったり、、、、。
ライブを聴いてくれた彼らは、わざわざ私の所に来てくれ「故郷を思い出したよ、本当にありがとう」とか「君の前世はアイルランド人だったのかもね」等と言ってくれました。
もちろんお世辞かも知れませんが、単純に喜ぶ気持ちにはなれませんでした。
聴いて下さった方が喜んでくれた事は、嬉しかったのですが、、、、。
そんな風に考えなくても良いんじゃない?と言ってくれる人もいました。
その後しばらくして、バンド活動が中止になりました。

奈加靖子 アイルランド ソングブック 緑の国の物語

奈加靖子
緑の国の物語
アイルランド ソングブック